藩主忠利公が大喜びした辛子蓮根
からし蓮根はお酒とよく合う熊本名物で、水前寺公園をはじめとした土産物販売でおなじみの食べ物です。
辛子蓮根のルーツは、肥後藩主細川家初代の忠利公と、彼に従って肥後へやってきた耶馬渓羅漢寺(大分県)の玄宅和尚にあります。
生来病弱だった忠利公に、玄宅は栄養価が高い蓮根を勧めました。しかし、一口食べたのを吐き出してあとを食べようとしません。玄宅は考えました。蓮根を見せずに気づかぬうちに蓮根を食べさせる方法を、そして藩の賄い方であった森平五郎に命じて蓮根を使った料理をつくらせたところ、考え出されたのが辛子蓮根だったのです。
加藤清正が熊本城の外堀に非常食として栽培していた蓮根の穴に和辛子粉を混ぜた麦味噌を詰め、麦粉・空豆粉・卵の黄身の衣をつけて菜種油で揚げたものを忠利に献上したところ、忠利公は喜んで食べたそうです。口に入れるとツーンと鼻をはじき、蓮根は味噌と衣とまじりあって一種独特の風味をたたえています。忠利公はたちまち辛子蓮根党となりました。
以来、辛子蓮根は細川家のお家料理となったといいます。そして蓮根の穴が九つきちんと揃っているのを、細川家の九曜の紋になぞらえて喜んだそうです。辛子蓮根を輪切りにすると九曜の紋があらわれるというのです。玄宅和尚は忠利公からもらった成趣園の一角に水前寺を建てました。いま玄宅寺といっているのがそれです。
肥後・熊本藩では、この辛子蓮根をたいそう奨励し、門外不出の殿様食として重宝されました。
以降、明治維新まで門外不出となっていた"からし蓮根"ですが、今日では熊本名物・熊本を代表する郷土食として広く親しまれています。 熊本で居酒屋などに行かれたらぜひ注文してみてください。
なぜ「水前寺駅」と「新水前寺駅」はあんなに距離が近いの?
メインの駅は「水前寺駅」だが、「新水前寺駅」は路面電車との乗り換え用に重要な駅なのだ。
というのも元々熊本市内のJRの弱点として挙げられていたのが繁華街からの遠さであった。熊本駅も、実は繁華街からは遠くバスとの競争が激しい九州では、常々その点が指摘されている。そこで目をつけたのが、市街中心部を通る市電との連絡だったのだ。
もともとの需要の変化もあるが、新水前寺駅は市電連絡のために開設されたといってもいいだろう。市街地と反対の健軍側からの乗換えや市東部の人口増加もあって、特急も結構な利用者数がある。
現在は、市電の停留所がさらに近くに移設されており、電停名も「水前寺駅通り」から「新水前寺駅前」に改められている。熊本市電⇔豊肥本線の乗り換えが便利になった。