水前寺成趣園の概要
昼間の成趣園 2010年4月24日撮影
昼間の成趣園 2010年4月24日撮影

概要(Wikipediaより)

水前寺成趣園(すいぜんじじょうじゅえん)通称「水前寺公園」は、熊本藩初代藩主 細川忠利が1636年頃から築いた「水前寺御茶屋」が始まりの大名庭園です。水前寺は、御茶屋と同時に建立された寺のことで、豊前羅漢寺(ぶぜん らかんじ、大分と福岡の県境)の僧、玄宅を迎えて開山しました。

細川綱利のときに泉水・築山などが作られ、現在見るような形となりました。豊富な阿蘇伏流水が湧出して作った池を中心にしたこの桃山式回遊庭園は、東海道五十三次の景勝を模したといわれています。

 

明治に至り官有となりましたが、1877年(明治10年)の西南戦争で焼失し、泉水・築山なども荒廃してしまいました。これを憂慮した有志が払い下げを要望し、明治11年に細川藩主を祀る出水神社が園内に創建され、庭園は出水神社の社地として払い下げられました。

1929年(昭和4年)12月17日から、「水前寺成趣園」として国の名勝および史跡に指定されています。

庭園名「成趣園」の由来

陶淵明(とうえんめい)の詩「帰去来辞」の一節「園日渉以成趣」からとって「成趣園」と名付けられました。


  園日渉以成趣(園、日に渉(わた)って以(も)って趣を成す)

=いつ来てもその度に趣のある庭園である

ここがすごか成趣園

成趣園の最も大きな特徴として湧水があげられます。この水は阿蘇山の伏流水が常に湧き上がっているもので、冬でも池が凍ることはありません。湧き出すまで100年もかかっているという説もあり、日本一の湧水庭園と言われています。 

 

正月3ヶ日には園内が無料解放され、出水神社には沢山の人が訪れます。熊本市においては藤崎宮と加藤神社の次に多い初詣定番スポットです。さらにこの出水神社は、かの有名な歌手、チータこと水前寺清子さんが挙式されたことでも知られています

 

ところで、映画「ラストサムライ」をご存知ですか?ハリウッドの大スター トム・クルーズさんと日本が誇る俳優 渡辺謙さん主演の江戸末期のサムライの勇姿を描いた作品で、米アカデミー賞にもノミネートされました。実はなんと、この映画の全景で成趣園が使われています。ぜひどこのシーンか確認してみてください^^

最近の成趣園事情

以前は動物園が併設されていたこともあり、最盛期には年間約180万人もの観光客が訪れていましたが、近年は減少を続け40万人弱になっています。このことも踏まえて2010年秋には初の「水前寺まつり」(ギャラリー)が行われ、大盛況のうちに幕を下ろしました。

 

また、成趣園の特徴でもある湧き水ですが、この水量が年々減少傾向にあるそうです。実際に久しぶりに来園された方からも「水の量が減った・・・」という声を聞くようです。これについては市をあげて節水に取り組み始めています。

 

近年、成趣園の周りには沢山のビルが立ち並ぶようになってきました。「景観を損ねる!」と言った声ももちろん沢山あるようです。私も個人的には近隣のビル建設はどうかな・・・と思っています。守る側も作る側も、しっかり話し合ってこれからの町開発をしていってほしいです。

水前寺庭中之図
内尾栄一・杉谷行直 作「水前寺庭中之図」/永青文庫所蔵

この絵は、江戸時代後期に細川藩の2人の御用絵師が、藩主の庭園を描いた3巻の画巻の1巻で、水前寺成趣園を東西それぞれの側から描いた2図からなります。

この東図の左手には江津湖、遠景には宇土半島や雲仙岳、金峰山などが描かれています。

▲平成22年10月30日 熊本日日新聞より

全体的な配置や松の折れ具合などは、現在のそれと全く変わりません。3代目藩主綱利公は、水前寺十景として四季折々の景色をこの成趣園に取り入れ、阿蘇の山々なども借景に美しさを競い合ったそうです。この絵を見ると、今は沢山のビルが立ち並んではいますが、奥に見える金峰山や雲仙岳などは今と変わらず、同じ景色を昔の人々も見ていたということがわかりますね。

 

成趣園の沿革

年代 藩主 できごと
寛永9年(1632) 忠利 細川忠利、肥後熊本藩初代藩主として入国
寛永13年(1636) | 国分御茶屋作事はじまる(萱野甚斎と古市宗庵を中心に進められる)
同 上

|

同時に水前寺の作事もはじまる

同 上 | 豊州国羅漢寺(大分県)が国分御茶屋へ移り、水前寺と呼ばれる
正保3年(1646) 光尚 国分御茶屋はすでに水前寺所有となり、水前寺の御茶屋と呼ばれる
寛文 5年(1665) 綱利 水前寺が廃寺になり、御茶屋は水前寺所有から肥後藩の所有になる
寛文10年(1670) | 水前寺の普請、作庭がはじまる
同 上 | 水前寺普請奉行に元田八右衛門があたる
寛文11年(1671) | 水前寺の作庭、酔月亭の仕事が引き続き行われる
同 上 | この年庭の大体が出来上がり、水前寺成趣園と名付けられる
元禄16年(1703) | 御茶屋(酔月亭)が修復される
享保期

宣紀宗孝

庭に手を加える
宝暦5年(1755) 重賢 酔月亭を残し、他の建物が取り壊される
明和5年(1768) | 庭園に赤松が植えられる
安永5年(1776) | 御馬場ができる
天明4年(1784) | 花壇に孟宗竹を植える
寛政2年(1790) 斉茲 酔月亭が修復される
明治4年(1871) 喜廷 廃藩置県が行われ、藩主は東京に移住。水前寺成趣園は官有となる
明治5年(1872)   6月19日、明治天皇御臨幸
明治10年(1877)   西南の役で御茶屋酔月亭は焼け、成趣園も荒廃した
明治11年(1878)   10月7日、出水神社が園内に建設され、神社の社地(神苑)として官より払い下げられる
同 上   出水神社能楽堂が建てられる
明治12年(1879)   石橋が二箇所でき、沢飛びが移設される
明治34年(1901)   九州第一号の公衆電話ボックスが園内に移築・復元される
明治43年(1910)   幽斎公没後300年記念として参道に「長寿の大鳥居」が建立
大正 元年(1912)   酔月亭跡に、古今伝授之間が移築される
大正13年(1924)   熊本市電が成趣園の入り口まで開通
大正14年(1925)   「水前寺動物園」が東側に開設される
同 上   熊本市は成趣園を出水神社から借り受け、通称「水前寺公園」で、一般公開した
昭和4年(1929)  

国の名勝・史跡に指定されて熊本市が文化財の管理団体となる

7月、成趣園東側に水前寺動物園が開園

昭和33年(1968)   4月14日 昭和天皇、皇后が視察
昭和35年(1960)   熊本能楽協会主催で第一回「出水神社薪能」が開催される
昭和39年(1964)   古今伝授之間、熊本県重要文化財建造物に指定される
昭和40年(1965)   出水神社能楽殿が焼失
昭和41年(1966)   水前寺成趣園が出水神社に返還される
昭和44年(1969)   「水前寺動物園」が江津湖湖畔に移転し「水辺動物園」となる
昭和54年(1979)   富士山北側に3代目忠利公銅像を建立
昭和61年(1986)   出水神社能楽殿が八代にある松井家より移築される(昭和天皇在位60年記念)
平成16年(2004)   9月、台風18号により古今伝授の間が甚大な被害を受ける
平成19年(2007)   3月、市から「熊本水遺産」に登録される
平成20年(2008)   6月、「平成の名水百選」に水前寺江津湖、金峯山の名水群が選定
平成21年(2009)   古今伝授の間が移築から99年ぶりに修復が始まる
平成22年(2010)   9月、古今伝授の間が修復完了する
同 上  

■「古今伝授の間」修復完了 ■細川幽斎公没後400年 ■九州新幹線全線開業半年前

11月、これら3つの記念として、初の「水前寺まつり」が開催される

平成23年(2011)  

3月、富士山北側の忠利公銅像隣に藤孝(幽斎)公銅像を建立(没後四百年祭記念)

平成25年(2013)  

「水前寺成趣園の唄」誕生

平成28年(2016)  

4月14,16日、平成28年熊本地震が発生。参道の「長寿の大鳥居」や石灯籠が倒壊し参道商店に直撃。園内の石碑なども一部倒壊し、池の水量も中期間にわたり激減。

「古今伝授之間」様から大部分を転載